理想と現実①

ゲイでHIVの方と2名ほどあったことがある。ゲイでHIVの出会いサイトであったんだが、わたしは、ゲイのHIVで誰にも言えない環境の方とつながり、相談したり、アドバイスしたり、一緒に考えたり、時には食事を楽しみ、お酒も飲んだりし食事会的なことを楽しんだり、また困ったときは、自分のできる範囲で助けあえる、そういう付き合いができ、将来に向け(じいさんになっても)孤独、孤立化しないよう生活できることが理想で
そういう付き合いができる人を探している。
初めてあった人は、同じ県内に住む、20代後半の人。同棲していた彼氏と別れた後、すぐHIV感染がわかったが、二人で住んでいたのいで、少し高いアパート家賃を一人で払うようになり生活苦。家庭環境が複雑で、定時制高校中退。町工場の小さい鉄工所勤め。給料は15万円もないとの事。世の中に対して不満で、生きてても楽しくないので、HIV治療も受けたくない。死んでもいいとの事。でもさみしいので、年上の人と知り合いたいとの事であった。
俺は相方がいるので、付き合ったりすることはできないけど、友達ならなれるよと言って連絡を取り合うこととなった。
家庭環境が複雑で、定時制高校に行くことになったが、結局中退。安い給料でしんどい仕事。一生ともに生活する予定の彼との別れ。HIV感染し、いいことがまったくないとの事。
そりゃ普通の家庭ではなく大変ん思いもしてきたんだろうとは思うし、彼はそれを自分のせいではなく、他人のせいや、自分が育った環境、親のせいにしてるだけだなと感じていた。そのことは彼には言わずに、彼氏ができ同棲し悪いことだけじゃなく生きていればいいことだってある等とりあえず、病院にいってほしかったので、いろいろ説得した。彼は一応以前に拠点病院に行ったそうだが、そこの医師やソーシャルワーカーが信頼できないないとか、対応がわるかったので治療は受けないとも言っていた。
だから俺が通院している拠点病院の話をした。ほかの患者と同じに診察され、名前も平気で呼ばれる。カウンセリングを受けたいといったら、別料金がかかる。ソーシャルワーカーに質問したら、わからないので他のソーシャルワーカーに聞いてきます聞きに行く始末など、俺も同じように、ここの病院で大丈夫なんかなっと思って診察を受けてることを話した。
わたしが彼にすすめたのが、中核病院。わたしも中核病院で診察を受けたかったが、何せ職場に近く、仕事がら知っている人がいるので、当然そこで治療は受けられない。けどほかの拠点病院とは違い、HIVの方と一般と分けて診察してくれていることや、カウンセリングもうけられる。専門職でチームでサポートしてくれるので、他の拠点病院よりはいいと思うと話した。
話した後しばらくして彼が、とりあえず中核病院院で診察をうけてみると言ってくれた。
診察をうけて彼も、完全に信頼してはいないが、先生も話をしっかり聞いてくれ、ソーシャルワーカーの対応もよかったので、一応これからも診察を受けてくてるとの事。
俺もちょっとほっとした。
その後一度会って話をしようということになり、昼食食べて、カラオケに行くことになった。会う前から彼はテンションがあがり、相方さんいてもカラオケボックスで触るかもとか、家に行ってもいいとかそんなことばかり言ってたので、相方いるしそんなことしないし、友達関係以上にはならない事を伝えていた。彼もそれでいいですとの事で、当日あった。
食事、カラオケ、ドライブ、話も普通に楽しめ、触られることもなかった。が、彼から、自分が想ってた感じじゃなかったけど、楽しかったですよ、また会いましょうというメール。?どういうこと?写メはあらかじめ送っていたので、見た目ではないとは思うが、何が想ってたのと違うの?
それから彼からメールが来ることはなかった。
やっぱり、彼氏やH目的であったんだ。ゲイになるとやっぱりこれが現実なのか?年齢が若いこともあったのかな?っと思い、次はちょっと年上の方と会ってみることにした。
その話はまた今度で。

やっぱり障害者なんだ。

HIVに感染し私は身体障碍者4級となった。しかし定期的に受診し、薬さえ飲んでいれば、特に体調に問題なく、普通の生活ができている。今は6月の職場の健康診断のためにウオーキングや軽いランニングもして、ダイエットしているくらいで、普段の生活の中では自分が障害者なんて思うことはあまりない。


毎年相方の誕生日祝いとして、飛行機を利用し毎年1回は遠くへ2泊から3泊の旅行に行っている。相方が沖縄好きであったので、毎年のように沖縄にいっていたが、5年くらい前から海外旅行に行くようになった。長期の休みがなかなか取れないので近場ではあるが、2年続けて海外旅行。次もグアム旅行を予定して三年前のちょうど今頃の5月下旬に行く予定にしていた。しかしその2週間前にHIVに感染したであろう初期症状、ノイローゼになり、相方に正直に報告し旅行キャンセル。それ以降は海外旅行には行っていない。
相方から来年は海外に行こうかな、っといわれた。行くとなるとHIVに感染して初めての海外旅行。もしかしていけない国とかあるのかな?っと思って調べてみた。
すると渡航制限ありの国があるではないか。短期でも制限ありの国はあるが、それは少ないし、たぶん行くことない国だとおもうけど、90日以上の滞在に制限ありになると、結構あるではないか。
90日も滞在することは、今の仕事ではないと思うが、やっぱりこの病気は何かと問題があるんだなと感じた。
またふと思ったのが、HIVでも短期の観光旅行は薬をもって行き何もなければ、問題なく楽しめると思うが、もし事故にまきこまれたり、体調を崩し病院にいかなければならなくなったときは、ちょっと大変になるのではないか?っと思った。言葉は通じないし、入院になっちゃうと・・・
そんなことを思うと、やっぱりわたしは障害者なんだなと感じた。

つながること

わたしは福祉の仕事をしている関係で、地域のネットワーク会議というものに参加している。
そこでは、地域で暮らしている方で、生活困窮に陥っている人、引きこもりの人がいる家庭、孤立している家などの支援について話あっている。
その方々に多く共通しているのが、人とのつながりが少ない事。その地区でも孤立している人が多い。俺の住んでいる田舎でも孤立している方がいるなら、都会ならもっといると思う。
人が生きていくには、絶対にだれかとかかわっていないと生きられないと思う。人は一人では生きていけない。支えあわないと生きていけないと思う。
わたしは、昨年2月に盲腸で入院したんですが、本来であれば(ノンケ)兄夫婦だけに助けてもらえばいいのですが、ゲイでHIVというのは、相方しかしらない。当然病院にはその事実は兄には隠してもらってはいる。だけど即入院、手術となったので必要なものを、わたしの住んでいるアパートに(限度額認定証など)取りに行かなくてはならない、当然兄には頼めない。探してもらうとゲイでHIVがばれてしまうし。ほんと相方がいてくれてよかった。
ゲイでHIVでも家族にカミングアウトしている方もいるとは思うが、わたしのように隠している人も大勢いると思う。わたしは運よく相方がいたので助かったが、いない方はかなり困ると思う。
相方まではいなくても、そこで同じゲイでHIVの人で信頼できる人がいれば、困ったときにお互い助け合えるのではないかと思う。そのためには、少しでも誰かとつながっていくことは大切なのではないかと思う。それが地元で同じ仲間(数人でもいたら)と助け合える環境ができたら、生活しやすいのかなと思う。そうなると将来(高齢になっても)孤立も防げるし。
でも理想論かな・・現実はなかなか難しいかもしれないね・・・。やっぱゲイで人数集まると、LIKEじゃなくLOVEが入ってきたら何かと面倒になったりね・・・。