2015年俺の人生を変えた年。

2015年7月に感染確定したのだが、俺にとって2015年は今までの人生で、もっとも大変だった年になった。

まずは1月半ば、車で出かけていたとき、後ろから追突された。当然車は修理、俺も2週間ほど通院する事になった。年始から事故にあったので、後厄の相方と一緒に神社でお祓いをしてもらった。今から考えると、年の初めの事故で何か大変な事がおきるから、気をつけろよ、っと神様や亡くなった母が知らせてくれたのかもしれない。

5月の中頃は俺のHIV初期症状があらわれ、それと同時に父が体調を崩し入院。

初期症状の最初は、夜間悪寒で発熱。風邪薬を飲み朝は熱も下がり、少し頭はふらふらするが、仕事へ。しかし夕方再び悪寒。38度。職場の人2人前日、前々日とインフルエンザにかかっていたので、インフルエンザかなとも思っていたが、もしかしてHIV・・っとも感じていた。検査の結果インフル-。その時点でヤバいなと感じていた。しかしまだそこまで心配はしていなかった。処方された解熱剤を飲んで熱は下がるが、何か頭がふらふら、下がったと思っても37度になったり。一番変だなと思ったのは汗だった。いつもの風邪なら熱が下がると発汗して後はすっきり。解熱剤が効いている間は発汗はない。しかし今回は違った。発汗を繰り返す。いつもと違う。熱が落ち着いてきた頃、身体に発疹。そこからHIVノイローゼで眠れない日々。初めての心療内科受診ではじめて安定剤や眠剤処方。その間父の入院での対応、まあ兄もいるので1人じゃないので助かった。

5月下旬に相方にHIVの可能性告白。6月中旬父の退院。介護保険申請やサービス利用する為の手続き。平日は実家に行って父の安否確認や体調確認(土日は兄)ヘルパーさんが来ない日の食事の準備(現在も続いている)

6月下旬、ネットの簡易検査でHIV陽性。7月に病院受診で、HIV確定。

6月中旬から7月中旬は休みの日ほぼ会社に行き資料づくり。

8月上旬、夜父が体調不良訴え、夜間救急受診。深夜の入院。2週間で退院。


7月HIV確定後は、毎月病院受診。

10月にゲイのHIV自助グループに参加。

11月受診時、担当医師より、免疫は普通の人と変わらないので今のところは大丈夫だと思うが、早めに身体障害者申請して対応できるように準備した方がいいとの事。しかし今住んでいるところでは、仕事上役所に行く事が多く申請は難しい。引っ越しする事となる。しかし1月に国家試験があったり、ボーナスが入ってからの方がいいので、2月に引っ越ししてから申請する事にした。

11月の受診の1週間後40.8度の熱で死ぬかと思う経験をした。その時は正直もう死んでもいいかと思った。

1月下旬試験後、引っ越し、病院受診で身体障害者手帳発行手続きする為に動きだし、今に至る。


俺より大変なおもいしている人はたくさんいると思うけど、俺にとっては大変な一年であった。(読んでくれた方で、この程度で大変なんて言うなと思っている方ごめんなさい。)

一番はHIV感染。俺の人生を一変させた。将来の不安を倍増(何十倍かも)させている。

HIVは今や慢性病と言うけど、薬を飲み続けなくてはいけない。俺は服薬はまだなんで副作用が怖い。周りに知られてしまうかもしれない。お金がかかる。Hできない(これは俺の中だけです。感染しないようにすれば、キャリアの方もできます。)こわい。その他俺の中ではまだまだある。やっぱ感染しないのが一番。HIVは自分がしっかり注意して予防していれば感染しない病気なんですから。


正直兄が生きている間に死ねたらと思ってる。甥っ子に迷惑はかけられない。

相方にも。HIVに感染していない時、5歳年下の相方を俺が最期は看取ると相方にも言っていた。その為にも健康でいなければと思っていたのに・・・。今は言えない。


でも感染して一日、一日を大切に生きようと思うし、今までなんもなくてつまらないなぁ・・っと思った事もあったが、何もないのが幸せなんだよね。いい事があまりなくたって、何事もなく生活できるなんてほんと幸せなんだなと思います。


今更感染した事を悔やんでもどうにもならない。前を向いて生きていくだけ。っと思っていても、時々後ろ向きになったりもしちゃいます。

2015年は人生が変わった大変な年となりました。

相方の葛藤、俺の葛藤

相方に俺がHIVかもしれないことを打ち明けたのは、5月入ってすぐ危険行為をした後の2週間後にHIV感染初期症状が出て症状が落ち着いた5月下旬ころだった。

検査はまだできないので、ネットで調べた症状から確実にHIVだと俺は確信していた。

翌週海外旅行の予定だった事もあり、こんな落ち込んだテンションで行くと相方に悪いし、それにHIVだと相方にうつらないように生活の中でも気をつけないといけない事もあるしと思って告白する事にした。

俺の浮気が原因なので、別れを覚悟で。

相方の返事は、今は今後の事はどうなるか返事できないとの事。当然旅行はキャンセル。相方と別れたあと、キャンセル手続きしていた時、相方からメール。

もしHいVなら、今まで通り付き合えるかどうかはまだわからないけど、友達としては付き合えると。

俺は涙がでた。

ごめんね俺のせいでと、何度かメールしていると、もうごめんは言わなくていいと言ってくれた。

その後の付き合いは、何も今までと変わらない付き合いをしてくれた。(Hは5年近くないのでその心配はない)

7月に病院で確定してから1、2カ月あたりから、相方がお酒を飲んで酔っ払うたびに、病気の事を責められるようになった。責められて当然なんだが、俺の心の中では、実際なってる俺の方がもっとつらい思いをしてるのに。なんでそんなに俺を責めるの。

責められるのが嫌になって、別れた方がお互いの為ではないかと考えた。

しかしよく考えると、俺を責める=相方もつらい。って事なんだと思った。

特に相方を家まで送る帰りの車の中で責められる。

一度激しく責められ事があり、家まで送り届けたあと、こんなメールがきた。「自分の中でまだ俺がHIVになった事を消化しきれてない、だからついつい責めてしまう。ごめんね」と。

そりゃそうだよね。やっぱりそんな簡単に受け入れられるものではない。特に相方は病気に対しては敏感だし。

浮気してもいいけど、病気だけはもらってこないでよ、っとよく言われていた。

ほんと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

今年の1月3日にたぶん別れるかもしれないと思うくらい、責められた。病気の事もそうだが、それ以外で俺に対して気に入らない事が爆発してしまったようだ。それも帰りの車の中。さすがに俺も今回はマジ別れた方がいいなっと思ったが、辛抱して耐えた。

送り届けた後、いつもと違うメールがきた。俺の事を責めてしまうのはこれからも抑えられんかもしれないので、別れた方がお互いのためだと思う、っと。

俺も一瞬そうしようかっと思ったが、いやいや冷静になって、こうなった原因を考えた。HIV以外の事についてはお金の事で、俺の安月給が原因で相方が焼き肉や飲みに行ったりしたい時にいけない、月一回が限度。服薬がはじまるともっと回数が減るかもしれない。けどできるだけ手当もらえるように頑張る。(相方は家を建てているので、ローンもあり、俺が9割くらい出さないといけない)HIVに関しては、ただただ申し訳なく、俺からは何もいえない。言う権利がない。俺の事責めて気が済むならいくら責められてもかまわない。けどHIVの人とは付き合えないと言うなら俺はそれに従うまでと返事をした。


病気に敏感な相方が、俺とここまで一緒にいてくれるだけで幸せだった。相方がいたからHIV感染しても乗り越えられたんだと思うし。11年たくさん喧嘩もしたけど、楽しい事の方がもっとたくさんあって・・・。っと別れも覚悟した。

それから1週間たって、相方からメール。とりあえず2月の海外旅行はキャンセルする。

きっと俺のお金の気遣いをしたんだろうと思う。

海外旅行の帰り東京に帰ってきたときに、コンサートに行く予定にしてたんだが、「コンサートは連れてって」との連絡。

ちょっとほっとした。

俺は思う、こういう葛藤を繰り返しながら、二人でいろいろな事乗り越えていくんだろうなと。乗り越えられなかったらそこで終わりなんだなと。

この先は別れるか、このまま付き合えるかわからないけど、これからも葛藤と戦うんだろうなと思う。

40.8度

11月30日に40.8度の熱がでた。


29日の夕方からお腹の張りがあり、その時はお腹が冷えたかな?

程度であった。初冬あまり寒さに慣れてないとき、毎年お腹のお腹がはり、ガスがでる。

ある程度ガスがでるとすっきりするんだが、夜になってもなんだかすっきりしない。

とりあえずその日は早めに休んで、翌朝午前中休みをもらい病院に。

胃腸炎との診断で整腸剤や抗生剤等の薬を処方される。


お腹が張っているので食欲もあまりないが、とりあえず少し食べ薬を飲む。

本当は1日休みたかったが、午後から俺が中心になっての大事な会議があり休めなかった。

午後から仕事をはじめて少したったころ、何か変だ。お腹の張りだけじゃなく、ふらふらする。もしや、これは発熱・・・。しかしもう少ししたら会議。熱を測って熱があるとわかれば、それだけでテンション下がりしんどくなる。なので測らずそのまま会議。40分ほどで会議終了。16時職場の体温計で熱を測る。37,3度の微熱。やっぱりかあ。

でもあと1時間半で仕事も終わるため。会議録を書き、定時に終了。急いで1人暮らしの父の食事の買い物。自分のもついでに買って、父の家に向かう。

それから自分のアパートへ帰り、まず熱を測る。37.5。まあ大したことはない熱。

食欲あまりないがとりあえず少し食べて、薬をのんで、すぐにやすんだ。

しかしなかなか眠れない。なぜなら、足だけが冷たくて寝られない。足だけ毛布を追加する。それでも温まらない。そうしてるうちに、悪寒が走る。やばいこれ熱上がるな。

38度は超えるなと思いつつガタガタ震える。しかしそれが尋常じゃない寒さ。いつもと違う。震えがすごすぎて身体に力がはいり、腹筋や筋肉がいたい。これもしかして・・やばい。熱をはかるとすでに39度。まだ震える。マジやばい。しばらくしてまた測る。40,1度。まだ震える。10分経過してまた測る、40,8度。その時俺、死ぬなっと思った。とりあえず相方にメール。俺の病気は相方しか知らない。でも手が震えてうまくうてない。しかしようやく打てても相方は長距離トラックの運転手。いまこっちにはいない。後から考えると心配かけるだけでメールしたらダメだよね。

その後兄に電話、やばい40,8度熱がある。呼吸も少し苦しい。きっと血中酸素飽和度も低下してると考えられる。どうしよ。兄は「夜間救急行くか?!今からそっちいくで」しかし兄には病気の事は言っていない、ましてや住んでる街の救急になんて絶対にいけない。HIVの拠点病院でもないし、入院でもしたら知り合いだらけ。

なんで、とりあえず救急車電話する。って言って切った。救急に電話。高熱だけでも救急搬送できますか?ときくといきますよと言ってくれる。実はHIVキャリアで、服薬はしてない状態ですが、受診している病院へ救急搬送できますか?とっ聞くと、それはわからないとの事。いくらそこの患者でもそこの病院の状況によっては、受け入れはしてくれないとの事。そのころになると寒気も収まり、熱を測ると、39,8度になっていた。高熱なのに気分が少しよくなった事もあり、救急の電話の人に、もう少し様子をみると伝える。

そしたら、電話番号をきかれて、ダメだと思ったら電話できるうちに早めにいつでも連絡してくださいと言われ、電話を切った。その後相方からのメールの返信。相方には救急車で拠点病院に行けと言われたが、解熱剤を飲んで様子を見ると伝え、すぐに5月にHIV感染の初期症状が出たときにもらって残ってたカロナール(解熱剤)を飲む。1時間が過ぎたころ、少しずつ聞き始め、落ち着いてきた。朝起きて熱をはかると37度。一応会社は休む事にした。解熱剤飲んだのは一回だけで昼には平熱に。お腹の薬と抗生剤は飲んだ。お腹の張りは少し楽になったが、押さえると痛みがあった。しかしどんどん良くなって3日後にはお腹の張り、痛みもなくなった。

一体なんだったんだろう。やはりHIVウィルスが暴れたのか?その時足に赤い小さい発疹が出てたので何らかの関係があるのかな?と思う。


まあとりあえず入院しなくてよかった。